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40金沢~42下諏訪

[ 2025/12/20~ ]

■40金沢宿(長野県茅野市)



[ 金沢 旅館桔梗屋 ここから下り(2025 12 20)]


旧・桔梗屋旅館を境に甲州街道は諏訪に向けて下り坂になります。 この辺りの旧・甲州街道は食事ができるお店がないので、国道20号と合流してから少し東京方面へ戻り、洋食「かぶど」まで足を延ばしました。 お店の人の話では数年前の大雪の時は、国道に車が数珠つなぎになり全く動かなくなったので、雪の中を歩いて帰ったそうです。



[ 金沢 御射山神戸の一里塚(2025 12 20)]


間の宿だった御射山神戸の集落を過ぎると、旧・甲州街道は国道20号から別れ上り坂になります。 道路側に倒れ掛かった廃屋もある寂しい道ですが、御射山神戸の一里塚は一見の価値があります。
街道の両側に塚が残り、東側のエノキは明治初期に枯れたそうですが、西側は塚が造られた慶長年間に植えられたと推定されるケヤキの巨木が今も立っています。 塚が残っている一里塚は他の街道でも見ることができますが、塚木がのこっているのは珍しい一里塚です。 ケヤキの大きさに感動します。



[ 金沢 金沢宿の旅籠(2025 12 20)]


一里塚から国道20号に合流するまでの旧・甲州街道沿いには、EPSONの社宅やらテニスコートがありますが、住んでいる人はいないようです。 製造業は海外に出て国内の従業員は減っているのでしょう。
国道に合流し金沢宿に入ります。
街道が制定された当初は青柳に宿場がありましたが、宮川の氾濫や大火によって1651年に移転し金沢宿と称することになりました。
明治40年頃までは木賃宿や旅籠が17軒ほどあり栄えていたそうですが、1905(M38)年に岡谷駅まで中央線が延伸すると、駅から離れた宿場は次第に寂れていきました。
金沢宿はその頃の旅籠が今も残され、地元の協議会によって丁寧な案内板が設けられています。 人が住んでいない建物もあり、これらの建物を後世に残すのは容易ではなさそうです。



[ 金沢 寒天の製造(2025 12 20)]


国道20号と宮川の間を通る旧・甲州街道から、寒天づくりの製造工程である心太を凍結乾燥する設備が見えます。 遠くからは露天に木箱が並んでいるように見えますが、心太を並べる板が重ねて置かれていました。これからが本格的な製造時期のようです。 遠くに「寒天の里」と書かれた大きな広告があったので寒天製造と気づきましたが、あやうく通り過ぎてしまうところでした。



[ 金沢 かんてんぐら(2025 12 20)]


中央道の高架を通り過ぎ、茅野市街に入ると拡幅され電線地中化された道沿いに、寒天を保管するための巨大な3層の土蔵が見えます。 元々は繭を保管する蔵でしたが、製糸が下火になり岡谷から移築し寒天倉庫として使われていたものです。 現在はイベントホールとして使われています。
茅野駅前にはコンクリート製の大きな鳥居があります。 諏訪大社上社前宮への参道入口に立つ鳥居で、甲州街道は鳥居の前を横切って進みます。


■41上諏訪宿(長野県諏訪市)



[ 上諏訪宿 旧・甲州街道(2025 12 21)]


しばらく歩道のない国道20号を歩き、信号機もない交差点を右折し中央線ガードをくぐります。
旧・甲州街道は山裾の斜面を横切るような道になり、左手は家並が切れると視界が広がりますが、右手は斜面地に石垣を積んで住宅が建てられています。 なかにはお城のように角が算木積みで造られた石垣もあります。
古い空中写真を見ると、平地は水田として利用され、家屋が斜面地に追いやられたような感じです。



[ 上諏訪宿 鍵之手交差点(202512 21)]


諏訪市に入り旧・甲州街道は斜面地から平地を通るようになります。
街道沿いにタンクが見え湯気が立ち上っているところがあります。 正面にある看板を見ると細武温泉共同浴場と掲げられ、女湯と男湯の入り口がある共同浴場ですが、組合員専用の温泉でした。
国道20号に入り諏訪の中心に近づくにつれ車の量が増えてきます。 元町交差点には日本酒の真澄で知られる宮坂醸造があり、酒樽が入口を飾っていました。 さらにこの先の枡形だった鍵之手交差点付近には、四つ酒蔵があり現在も営業しています。



[ 上諏訪宿 精進湯跡(2025 12 21)]


精進湯は市街地の中心部にある江戸時代から続く共同浴場でしたが、2019(H29)年に営業を終え現在は足湯ならぬ手湯になって残されています。 ちょうどいい温度のお湯が流れ冷たくなった手を温めると、しばらくの間は温もりが残り温泉の効果を体感できました。
街道沿いには昭和レトロが感じられる看板建築のお店が残っていますが、共同浴場と同様に少しづつ減っているようです。



[ 上諏訪宿 家庭用の温泉タンク(2025 12 21)]


諏訪市には個人のお宅にも温泉を引くことができる地域があります。 地元の人の話によると、昭和30年代までの辺りは少し掘ると温泉が湧き出て家庭で使えましたが、 地盤沈下などのため市が温泉を管理し各家庭に配湯することになったそうです。 しかし、料金が高いので温泉を引く家庭は減少傾向だそうです。
諏訪市のホームページによると、毎分1.8リットルの契約で加入金が207,900円、 温泉の使用料と下水道料がそれぞれ142,560円/年、47,532円/年、 このほかに設備の工事費と維持費がかかります。 なかなかの負担ですが、いかがですか。
「湯の脇」という地名が温泉地の雰囲気を出しています。



[ 上諏訪宿 長い階段(2025 12 21)]


諏訪市街の街道右手には、崖の上に建物が建っているところがあり長い階段がありました。 裏側に道があるとは思いますが、この階段を上り下りする生活はしなくないものです。


■42下諏訪宿(長野県下諏訪町)



[ 下諏訪宿 諏訪湖(2025 12 21)]


旧・甲州街道も少しずつ高い位置を通るようになり、やがて諏訪湖の湖面が見えてきます。 冬になると凍結した湖面の氷が盛り上がる「御神渡り」が現れますが、近年見られず、ボートがすいすい横切っていました。
このへんの旧・甲州街道は昔ながらの道幅で、緩やかに左右に曲がりながら続き、街道らしい雰囲気が残っています。 古民家を使ってドーナツを売っているお店もありました。 いい感じです。
諏訪湖との距離が縮まり湖面が大きく見えるようになってきます。 すぐ下には中央線が走り、山側は昭和16年に鉄道防備林に指定された林があります。 斜面の崩落から鉄道を守る林のようです。



[ 下諏訪宿 最後の一里塚跡(2025 12 21)]


旧・甲州街道の最後の一里塚跡が住宅地の一角に残されていました。 起点の日本橋から53番目で一甲州街道最後の里塚になります。 人が歩いて自然に形づくった街道沿いは、今では静かな住宅地になっています。
中山道との合流まであと少しのところに、旧・甲州街道の石橋に使われていた約13トンの一枚岩が、橋の架け替えにより今は石垣として再利用されています。 石橋があった承知川はこの場所から80mほど甲府側を流れている小さな川なので、思わずどこに川が流れているのか探してしまいました。



[ 下諏訪宿 承知川に架かっていた石橋が石垣に(2025 12 21)]


旧・甲州街道は諏訪大社下社秋宮の鳥居をくぐらずに、手水舎と鳥居の間にある小径へ向かいます。 塩羊羹で有名な新鶴本店前を通り少し進むと、中山道と甲州街道の合流点の石碑があります。 このあたりは下諏訪の温泉街で、近くにある共同浴場の児湯は観光客でも300円で入浴できます。 受付のおばさんに「ゆっくりはいってね」と声をかけられましたが、熱くてとても長湯はできません。 それでも小さな露天風呂は比較的入りやい温度で、空いていればゆっくり浸かることができます。



[ 下諏訪 新鶴本店前(2025 12 21)]


上諏訪は諏訪湖沿いに大きな温泉ホテルが立ち並ぶ派手な温泉街ですが、下諏訪は小振りな旅館が多く湖畔の開けた風景もない地味な感じです。 しかし上諏訪にはない、昔ならの温泉街の雰囲気が味わえます。
下諏訪から江戸日本橋への距離は、甲州街道は中山道より10kmほど短く、山越えの厳しさも大きな差はないように思います。 にもかかわらず参勤交代に使った大名は信州諏訪の高島藩、伊那の高遠藩、飯田藩の三藩だけでした。
甲州街道は江戸が襲われた際の徳川家の脱出路とも言われた街道なので、利用できる大名が限られていのでしょうか。



[ 下諏訪 中山道と合流(2025 12 21)]